バス停を求めて琵琶湖を駆けにかけて菅浦に着いた。偶然「祭」をしていた。結構有名な「祭」だそうで、県外からも大勢来ていた。東京から来ている知人の写真家の顔が見えたので、こちらも撮影に気合が入った。ここのバス停は、須賀神社の境内の中にあることが特徴だった。数多くバス停を見てきたが、ご神木に挟まれているバス停は見たことがない。この光景を撮っていると、自分も神に守られている気がしてきた。
滋賀県にバス停だけを取材するための計画を立てた。湖東地方は大阪支店時代に取引先があったので、よく行っていたが、湖西はほとんどいったことが無かった。幸い大阪時代に親しくしていた友人が住んでいるので、その縁を頼りに車もまる一日出してもらった。
実はまだ、ここには再訪できていない。撮影後数年経過していた時にたまたま日本経済新聞の記事で、この地が特集されていた。それを読むと大変歴史的な記録である菅浦文書があるところだった。全然そのことを知らずに撮影していたのが、恥ずかしい。ただ、この地に到着したときに、ここで撮影しようと思ったことは、偶然ではない気がする。この地に気配を感じたからだと思う。郷土資料館もあるそうである。琵琶湖の北端でもあるので、何かのついでに立ち寄ることは難しいので、ここをめがけて訪問してみたい。
そして現在の作品を撮影して、バスマガジンの記事にもしたい。東日本と比較してなかなか西日本には、行けていないが、そろそろ計画を組む必要があると感じている。車を出してくれて友人にも、再会したい。